14 高倉~安徳

しかし、やがて後白河上皇と平清盛は対立。

そんな中、1177年、鹿ケ谷事件が起きます。

鹿ケ谷事件は、院の近臣らが京都東山鹿ケ谷の俊寛の山荘で、

平氏打倒計画を立てて露顕し、一味が処罰された事件です。

そして1179年、清盛が後白河上皇を幽閉します。


ここから「源平の争乱(源平合戦)」がスタートします。

源平争乱の流れは図のとおりです。


堀河天皇時代、白河上皇が北面の武士を設置し、

その武力を頼みとする公家たちの争いから、

保元の乱と平治の乱を経て力を蓄えてきた武士たち。


やがて源氏と平氏という二代勢力に分れた武士たちは、

源平争乱で戦いに決着をつけます。


平氏を打ち滅ぼした源氏は、源頼朝を当主として、鎌倉幕府を開きます。

これは武士時代の幕開けを示しています。



問題1 鹿ヶ谷事件とは何か?



問題2 源頼政、源義仲は源頼朝とどのような関係にあたるか?



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