しかし、やがて後白河上皇と平清盛は対立。
そんな中、1177年、鹿ケ谷事件が起きます。
鹿ケ谷事件は、院の近臣らが京都東山鹿ケ谷の俊寛の山荘で、
平氏打倒計画を立てて露顕し、一味が処罰された事件です。
そして1179年、清盛が後白河上皇を幽閉します。
ここから「源平の争乱(源平合戦)」がスタートします。
源平争乱の流れは図のとおりです。
堀河天皇時代、白河上皇が北面の武士を設置し、
その武力を頼みとする公家たちの争いから、
保元の乱と平治の乱を経て力を蓄えてきた武士たち。
やがて源氏と平氏という二代勢力に分れた武士たちは、
源平争乱で戦いに決着をつけます。
平氏を打ち滅ぼした源氏は、源頼朝を当主として、鎌倉幕府を開きます。
これは武士時代の幕開けを示しています。
問題1 鹿ヶ谷事件とは何か?
問題2 源頼政、源義仲は源頼朝とどのような関係にあたるか?
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