鳥羽天皇は白河上皇に続き鳥羽院政を行ないます。
鳥羽上皇は平忠盛を登用し、崇徳上皇と不和で、保元の乱の原因となりました。
保元の乱は対立図式を覚えることが肝心です。
天皇方 鳥羽法王・後白河天皇 VS 上皇方 崇徳天皇
天皇方 藤原忠通 VS 上皇方 藤原頼長
天皇方 源義朝 VS 上皇方 源為義・為朝
天皇方 平清盛 VS 上皇方 平忠正
という対立図式と人物名は覚えておいてください。
平治の乱では、藤原通憲、藤原信頼、平清盛、源為朝、
という人物たちの関係を教科書などでしっかり把握しておいてください。
1167年平清盛が太政大臣に任命されると、全盛期を迎えます。
高倉天皇は後白河天皇の皇子で、生母は清盛の妻時子の妹の慈子になります。
そして1172年、清盛の娘「徳子」が高倉天皇の中宮になります。
「徳子」は後に「建礼門院」と呼ばれ、壇ノ浦で入水するが、救出され隠遁します。
問題1 保元の乱の年号を答えよ。
問題2 平治の乱の年号を答えよ。
問題3 「建礼門院」とは誰のことか?
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