聖武天皇の時代になると「長屋王」が政治の実権を握ることになる。
長屋王は天武天皇の孫にあたる。
723年の三世一身法の目的とは何か?
724年、多賀城の設置の目的とは何か?
調べてノートに書き加えておいてください。
729年に長屋王の変がおきて長屋王は失脚します。
長屋王の変とはどんな事件だったのか?
またその首謀者は誰なのか?
調べておいてください。
続いて政治の実権を握ったのは藤原四卿、武智麻呂、房前、宇合、麻呂でした。
彼等はそれぞれ、南家、北家、式家、京家、と言われいます。
誰が何家なのか出題されることも多いので調べて必ず書き加えておいてください。
しかし、その藤原四兄弟も735~737年の間に相次いで病死し、
次ぎに政治の実権を握ったのは、橘諸兄、玄肪、吉備真備でした。
橘諸兄は光明天皇の異父兄。
玄肪は法相宗の僧。
吉備真備は橘諸兄の政権に顧問格として参加し、
菅原道真と並ぶ学者政治家だったといわれています。
740年恭仁京へ遷都、741年国分寺建立の詔、742年紫香楽宮の造営、
743年る舎那仏建立の詔、745年行基が大僧正になる、
というのは聖武天皇が行なった行為の一連の流れを示しています。
その流れとは何か、しっかり調べておきましょう。
740年藤原広嗣の乱とはどのような出来事か?
恭仁京の場所はどこか?
国分寺建立の詔の内容とは?
調べて書き加えておいてください。
743年墾田永年私財法は最出題事項です。
年号、時の天皇、その内容は絶対覚えておいてください。
このように聖武天皇時代は、政治の実権者が何度も変わったり、大仏建立があったり、歴史的に重要な政策があったりと、試験に出題されやすい部分でもあります。
詳細事項を調べて、ノートに必ず書き加えておいてください。
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